思想。 


今朝は久々に走った。この季節気持ちよいなあ。


私は君が代を歌ったことがないのだけど
学校で起立を言われると皆と一緒に立ち上がっていた。

でも、歌いたくはなかったし、本当は起立もしたくなかった。

学校の教師がそれを
強制されてしまう社会になっていくことが苦しい。

昔の日本に戻りつつあるようで悲しい。

学校の教師にいろいろな思想を持つ人がいて
どうしていけないのだろうか。

思想と仕事は違うと言うけれど
体現してこそ思想であって、
その時々で流れに身を任せることが容易にできるのであれば
それはもう思想とは呼ばないではないか。

どうしてそれを許すことさえできないのだろう。

この流れはいつか、このクニに利益のある情報しか
子どもたちに教えてはいけない、
「本当の事」を教えるとクビだ、と言われかねない気がする。

そして、そういう流れにあまりに無頓着に
淡々と日々を生きることに汗を流す私たち。

このドライな感じはなんなんだろう。
熱くならない、声をあげない。

原発のことも、いまだに学者さんたちに言う事を真に受けて
大丈夫だ大丈夫だと信じている。

平和で、平和で、流れに身を任せていさえいれば
幸せな未来が来ると夢見ていた時代はもう終わった。

自分で、自分たちの未来を
雑草をかき分けかき分け作り上げないと。

立ち上がらないとな。


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コメント

なぜ歌いたくなかったのでしょうか?
なぜ立ちたくなかったのでしょうか?
私には両者の違いがよくわかりません。
藍子さんと同じ思いですが、私にはその思いを明確に言葉にできませんでした。
世界は片一方を否定することしかできないのでしょうか?
難しいもんだいですね。
これから藍子さんがどのように立ち上がり、どのような言葉を発するのか、影ながら応援させていただきます。
長文、乱文失礼いたしました。

こばとさん☆

コメントありがとうございます!読んでいただけて嬉しいです。

君が代も日の丸も、日本が戦争をしている時代からのもので、その歌や旗の下にどれだけの血と命が流れているか。
外国を侵略し、そこに住む人たちの人生を踏みにじり、その人たちにとってこの旗や歌は侵略の歴史そのものではないでしょうか。そのことに意識がいかないまま、日本の歌だ旗だと無邪気には言えないとおもうのです。
その歌や旗に敬意を示すことなどできないのです。

私は他にも理由ありますが、思想はそれぞれいろいろあるのだろうとは思います。

いろいろあることが普通であって、それがある一方しか許されないのであれば、なんて窮屈で、そしてなんて恐ろしい政治だろうと思います。

大阪に住む者としては、切実になんだか怖いです。

書き込みありがとうございました。また気軽に書き込んでくださいね!

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