「うまれる」上映会。
昨日は映画「うまれる」の上映会に参加した。
前々から気になってたドキュメンタリー映画。
長女も胎内記憶を突然話し出したことがあった。
雲の上にいたよ。
神さまが椅子に座っていたよ。
神様は髭を生やしていたよ。
大きな鏡で今より若いママがうつったよ。
このママが良いって神様に伝えたら
滑り台でママのお腹に入ったよ。
と。
私は神様がどんなだったか知りたくて
そしたらテレビで佐々木健介が写ってて
この人みたいな髭、と言ってて。
ちょ、ちょっと絵に描いてみてよと
あわてて紙渡したら、
まあいつも通りの画力で、丸と単純な線の顔で、
、、ですよね、、って思ったっけ。
映画観ながらそんなことを思い出していた。
いのちのことはなんとも言えない。
気軽に感想を言ってはいけないような映画だった。
いくえみ綾の最近の漫画で
赤ちゃんがお母さんを選んで来るなら
私を選べよ選べよ、と
主人公が一人で土を踏みつけるシーンがある。
この映画の後ろには無数のそういう人たちを
作り出してしまう気がした。
映画の中の13トリソミーの子が、
家に帰って調べたら
なんと10歳になって生きててくれてるそうで
とても嬉しくなった。
良い映画だったよと言いたくなる。
でもそれは自分が「お母さん」を
やってるからだろう。
しばらくぶちぶち考えてしまいそう。
そうやって考えさせるのが作り手の想いか、
としたらまんまと引っかかってしまってるか。。
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- [2019/01/29 11:01]
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